しまったラジオ体操。今は、どうなってるんでしょうね。
ラジオ体操は、1925年3月にアメリカのメトロポリタン生命保険
会社により健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、
広告放送として放送されていた世界初のラジオ体操が基となって
います。 1925年に保険事業の視察で訪米した当時の逓信省
簡易保険局(現・株式会社かんぽ生命保険)の猪熊監督課長が
アメリカでのラジオ体操を知り、日本に帰国したのち日本でも
ラジオ体操を行う事を提案、1927年にラジオ体操を行う事を決定、
1928年に制定、そして同年11月1日7:00に天皇の御大典記念
事業の一環として放送を開始しました。日本で最初の考案者は
体育学者の大谷武一で正式名称は国民保健体操です。NHKで
放送を担当したのはラジオ体操のために採用された元軍人の
江木理一アナウンサー。彼は初回からブリーフパンツ1枚で
マイク前で体操していたのであすが「照宮成子内親王もラジオ体操
に御執心なり」と聞き及ぶや濃燕尾服に蝶ネクタイを締め、正装に
身を包んだ上で放送に臨むようになったそうです。
現在の体操は3代目です。つまり過去2度改訂が行われています。
終戦時、軍国的側面を助長するとされ禁止されたこともありました
がその後復活しています。
ラジオ体操には、第1から第3まであり、第3は現在、ほとんど知る
人もいません。その他に、年齢、性別、障害の有無に関わりなく
体操ができるのを意識して作られた「みんなの体操」があります。
ラジオ体操には、指導員制度というのがあります。1日講習を
受ければもらえるのですが、1日中、ラジオ体操をしていると、
かなりしんどいです。メリハリをつけて手足の先をすっと伸ばして
するのがコツで、わたしも指導員のバッジをもらいました。指導を
してくださったのが、当時、ラジオで、アナウンスされていた人で、
指の先から、足の先まで細かく指導してくださり、ようやくOKが
でました。現在、そのバッジは行方不明です。
私が、子どもの頃は、夏休み中、ずっと近所の神社でラジオ体操を
やってました。ほとんどの子どもが皆勤でした。その頃、地域主導
でやっていたのか、PTA主導でやっていたのか、わかりませんが、
今、大人になって、子どもたちにラジオ体操をやらせる側に立って
みると、いろいろな準備、当日の指導、参加症の用意等大変です。
一番大変なのが、自分が遅刻できないこと。
地区の委員が一人なので、全部自分でやらなきゃなりません。
明日も、朝が早いのでもう寝ます。
]]>気がついてみれば、1週間近く、ブログ更新もできないまま。
うまく時間を使いこなせていません。
ネタもなかったんですけど…。
子どもたちが、ザリガニを捕まえてきました。本当は、子どもたちを
連れて、ザリガニ釣りに行きたかったんですが、その時期は6月。
時期を逸してしまいました。
昔は、結構な都市部でも、ちょっとした池があって、ザリガニ釣りを
したものです。
私は、大阪に住んでいましたが、万博開催前は、ところどころに、
空地や、池があって、よく、ザリガニ釣りもしたものです。ところが
万博の開催1,2年前から、急ピッチで道路などがつくられ、アッと
言う間に子どもたちの遊び場がなくなってしまいました。
さて、うちに来たザリガニは、もちろんアメリカザリガニ。釣ってきた
ものじゃなく、梅雨で水かさが増えてくると、田んぼのあぜ道に
あふれています。それを、捕まえてきたわけですが、子どもたちが
いつまで、飽きずに面倒を見てくれるのか心配です。
いつに間にか、餌をやるのを忘れたり、水の管理を怠ったり、蓋を
忘れて、脱走ということも考えられます。そして、干からびる。
アメリカザリガニの寿命は、7,8年だそうです。もちろん、ちゃんと
した設備でのことでしょうが、普通の設備で、3年くらいは生きる
そうです。熱帯魚を飼うように、大事に育てて、繁殖までさせている
好事家もいらっしゃるようです。
子どもたちにはそこまで求めませんし、設備も用意できませんが、
自分の捕まえてきたものは、それなりの責任をもってほしいもの
です。
]]>なものですが、他に、もっと大事なものがあります。
それは、「環境」です。
いくら才能があり、努力によって才能を開花させても、環境が
整っていなければ、才能を伸ばすことができません。
というより、才能を開花させるために、環境が必要だということ
です。
例えば、施設であったり、時間であったり、よい指導者の有無の
ことです。
さらに、環境で必要なのが、人間環境です。その環境が良い環境
なのか、悪い環境なのかも大事になってきます。即ち、その環境に
競い合う雰囲気があるか、ということです。
人間って自分で自覚している以上に人間環境に左右されて生きて
いるんです。
人間環境が悪いと、自分もダメになっていきます。
無意識のうちに引っ張られてるんですね。
それを避けるために「相互向上」という、要するに、お互いを高め
あえる関係に自分を置くことが大事になってきます。
人間関係においてはこの関係が理想的だと思います。
高校野球でも、常に強いチームがあります。当然、毎年、才能の
ある選手を集めてくるからという理由もありますが、それだけでは
強さを維持することはできません。チームの中に環境として
相互向上という雰囲気があったと思います。
しかし、ダメなチームがどういう状況かというと、相互堕落関係に
なってしまっています。
お互いがお互いの足を引っ張っている状態です。
なんとなく、これくらいでいいか、という雰囲気が漂っています。
目標のの度合いが自然と低くなってしまっているんですね。
で、弱いチームになってしまうんです。
私が、高校生のころ、バドミントンのうまいやつがいまして、
3年間に大阪府で7大会にエントリーし、1位5回、2位1回、3位1回
という無敵の成績を残しました。彼は、人一倍努力をしていましたが
学校のクラブを終えた後、環境を求めて、当時、大阪No.1だった
S学園高校で、毎日、夜11時まで練習していたそうです。
「環境」は大事です。
]]>才能?努力?
よく、「1%の才能と99%の努力」と言われます。しかし、本当の
ところはどうでしょうか。
確かに、努力しないで才能だけでトッププレーヤーになった人は
いません。天才と言われる人も実は、相当努力しているのです。
しかし、一流になるには、才能は必要ないのかと言えば、決して
そうではありません。やはり、それぞれのスポーツに必要な才能が
あることは否めません。ところが、才能は、誰にでもあるものです。
ただ、その才能を生かすスポーツに出会えるかどうかは「運」です。
そして、その才能を伸ばすためにどれだけの努力をするのかが、
一番大事です。
ところが、大リーガーのイチローは「努力せずに何かできるように
なる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。努力した
結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕は
そうだと思う。人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、
それは間違いです。」と言っています。すなわち、イチローは努力
する才能があるということです。「努力する才能」というのは、一部の
人にしかないものでしょうか。努力することは誰にでもできること。
即ち、誰にでも才能はあるということです。
結論から言えば、努力だけで一流になることができる、ということに
なります。ある意味、的を得ている言葉ですが、現実はそうでは
ありません。やはり、1%の才能は大事です。しかし、その才能は
先述のとおり、誰もが持っているものなんです。ただ、それに気が
つかないか、眠ったままになっているだけです。そして、その才能
は、年齢が低ければ低いほど発現しやすいのです。
しかし、年齢が高くともあきらめることはありません。
あきらめる=努力をやめることが一番してはいけないことです。
努力していれば、報われます。ここで、イチローの言葉に戻ります。
努力をしていれば、隠れていた才能も芽を吹き出すのです。
よく、化ける、と言います。それは、努力の賜です。そのかわり相当
な努力が必要です。しかし、夢をあきらめずに、努力していれば
結果はついて来るものです。一流選手と呼ばれる人は「なにくそ」と
いう気持ちをもって、歯をくいしばって、人一倍の努力をしてきた人
のことを言うのです。
また、スポーツに必要なのは、努力という名の向上心ではないで
しょうか。上手くなりたいから努力することができるわけで、最後の
ゴールをどこにもっていくかではないでしょうか?才能があるとか、
ないとか、実際はかなりやってみないと分からないことだと思い
ます。才能の有り無しはひとまず置いておいて、『向上心』という
努力は忘れてはいけません。向上心次第で、才能の開きがある
ような場合でも、また違った才能があったりして才能の個性が
生まれることでしょう。スポーツのスターでも完璧に才能が同じ人は
いない、もしくは少ないです。
努力に勝る才能はありません。
]]>(小指)の靭帯を損傷し、春の6週間に続いて3週間の練習を制限
ある中していましたが、ようやく完治しました。それが、18日の
練習前。ところが、その日のフリーバッティング中に、デッドボール
をくらい、左足すねが、相当腫れあがりました。これは、骨折か、と
思いましたが、足を引きずりながらも歩いてましたので、しばらく、
様子を見ることにしました。怪我も実力のうち、とはいえ、続きすぎ
です。満の悪いことに、翌日の今日は練習試合。Kに任せてあった
のですが、本人は、隠して出場したそうです。さらに悪いことに、
ここしばらく投げさせてもらってなかったのに、1,2年生のみの
ジュニアチームの試合で、2番手登板。あらかじめ、先発がだめに
なったら登板と予定されていたそうです。先発は、滅多に投げた
ことがない2年生ピッチャー。初回に5点を取られて、早速、登板
する羽目に。2死を取るまではよかったそうですが、そこで、四球。
そして、サードのエラー。そこで、踏ん張ればよかったんですが
連打を浴び、あえなく4失点で降板。相手はレギュラーチームで、
自責点はつかなかったとはいえ、テストの色合いの濃いこの試合
で結果を残せなかったのは、本人にとってスネと共に痛かったろう
と思います。3番手に投げた、Kのライバルである1年生ピッチャー
は7失点。なんと0-18の4回コールド負けでした。
2試合目は、1年生同士の試合で出番なし。1試合目は、レギュラー
チームの試合で8番ファーストで先発。まだ、レギュラー落ちは、
微妙なようです。明日も、痛い脛をかかえて練習に行くそうです。
休むと自分の居場所がなくなるのが分かっているから。
とにかく、練習でアピールしなければなりません。
競争の世界は厳しいです。
]]>そのハンディのうちの一つが車が絶対に必要なこと。1人1台必要
です。その維持費や燃料代は、1年を通じて計算するとかなりの
金額になります。
田舎にあこがれている方、現実は、都市部よりかなり多くの出費が
必要なことを覚悟していてください。
今日は、休日でしたが、子どもが、長男がボーイズリーグで野球、
次男、三男が学童野球、おかぁちゃんが、午前中だけ、アルバイト。
私自身には、特段、用事はなかったんですが、1日つぶれました。
用事と言えば、地域に「福祉子供会」というものがあって、わたしも
数年ごとに、お手伝いしますが、今日は、そのイベントである
キャンプファイアーが行われること。PTAは、関係のない団体
なんですが、それに参加する子どもたちの送迎を、PTAの
地区委員が担当します。地域の子どもたちの95%以上が参加
する、子どもたちにとって、非常に楽しみにしている夏休み最初の
イベントの一つです。
なぜ、1日つぶれたのか。それは、それぞれの送迎のため。
今日は、まず、7:30に小学校まで、次男、三男を送ります。普段
登下校で歩いている道ですが、4kmの道のりは、通学団で、学校
に行くのとは違って、危険なので送迎をします。いったん家に帰って
くるのが、8時過ぎ。続けて、長男とおかぁちゃんがアルバイトで
いなくなるので末娘も乗せて、ボーイズのグランドへ。公共交通
機関も使おうと思えばがありますが、それを使うと90分かかります。
かなりの荷物を持っていくので、車を使います。それだったら30分。
20kmの道のりです。今日は、おかぁちゃんが、アルバイトの延長
のある可能性があるということだったので、昼食は、スーパーで
弁当を買ってきてと言われました。たぶん、おかぁちゃん、寝坊した
んでしょう。ボーイズのグランドへは8:45に着いたんですが、
スーパーの開店時間である10:00まで、グランドで時間をつぶし
スーパーへ。買い物を済ませたら、即、家に帰って荷物を降ろし
今度は、次男、三男のお迎えです。いつもなら、12:30までやる
んですが、キャンプファイヤーの都合で、11:30で終了。家に
帰ったのは、12:00でした。
このあと、14:00からキャンプファイヤーに参加する子どもたちを
送迎。私一人の車では、乗りきらないので、地区内の他の保護者
の助けを借りて、またまた、小学校へ。行ったらいったで用事が
あり、帰ってきたのが、15:00。
そのあと、1時間ほど、PTAの地区委員の仕事として、今度は地区
の子ども会の寄付金集めに5つある自治会の会長さんを訪問。
ノーアポイントメントだったので、あまり会えませんでしたが、少し
集金できました。
次は、長男のお迎えです。16:00には、出なければならなかった
んですが、ブログ訪問をしていてちょっと遅刻。でも、ちょうど練習
が終わったところだったんで待つこともなく、長男を車に乗せ帰宅。
18:00前でした。
最後の送迎が残っています。キャンプファイヤーに行った子ども
たちを迎えに行かなければなりません。20:30に出発して、戻った
のは、21:30。
結局、今日1日の走行距離が100km超。田舎にいると、場所の
遠い近いの距離感が狂います。20kmくらいなら近いと思って
しまいます。元来、車の運転が「面倒臭い」という理由で嫌いな私
でもそうですから、車の運転が好きな人は、「ちょっとそこまで」が
車で1時間かかるところでも適用されるようです。
子ども同士が、遊ぶのにも、送迎が必要になってきます。近くに
友だちがいないからです。小学生の間は、子どもたちが遊ぶ約束
を勝手にしてきて、「送って」と言います。田舎の道は、細くて、運転
も荒いので、危険だということで、小学校でも自転車で行動できる
範囲を制限しています。送ると「お迎え」が付いてきます。
子どもをお持ちの方が、田舎で生活すなら、この「送迎」も覚悟
しなければなりません。
今日は、私は、そんなわけですべてのブログに巡回できません
でした。すいません。
結局、今日は何をしていたの?と問われれば、「送迎」としか答え
られません。
]]>最近、大学生を始めとする若年者による大麻取締法違反の事例が
多く報道されており、不正に大麻を所持・販売等をする事例、大麻
の種子から大麻を不正に栽培する事例等が報告されています。
●なぜ、薬物乱用はいけないのか
1.脳をおかされて、心も身体もメチャクチャになる。
2.自分の意志では止められなくなる。
薬物乱用の最も恐ろしい特徴は、薬物の”依存性”と”耐性”
・依存性⇒一回くらいならと思っても、また、使いたくなり、繰り返し
使ううちに薬物の使い方のコントロールがきかなくなってしまう。
・耐性⇒使用を繰り返しているうちに、それまでの量では効き方が
うすれていく。
3.薬物乱用により凶悪な事件が発生する。
薬物に乱用により、幻覚、妄想が現れ、殺人などの重大犯罪を
引きおこす。
4.薬物欲しさに犯罪をおかすようになる。
薬物を入手するための金欲しさに恐喝事件や窃盗事件をおこす。
密売や乱用の勧誘など、犯罪をおかすようになる。
5.法律できびしく禁止されていて、重い罰を受ける。
日本では、薬物の乱用を防止するために、「覚せい剤取締法」
「麻薬及び向精神薬取締法」「あへん法」「大麻取締法」「薬事法」
「毒物及び劇物取締法」などの法律で罰せられます。
6.友達や家族を失う。
薬物におぼれ、人間関係の破壊により、友人、家族から孤立
する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最初は軽い気持ちで始める若者が多いはず。また、事の重大さを
若者が理解していないということも原因の一つと思われます。違う
いい方をすれば、幼稚であるということ。1~6をよく理解して
いれば、手を出そうとは思わないでしょう。私たちができることは、
それらを若者や子どもたちに伝えること。こんなことで道を踏み外す
子どもたちが、少しでも減ることを切に願います。
]]>をしてくださった皆様、ありがとうございます。
コメント返しもできずにすいません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【デートDVについて】
DV(ドメスティック・バイオレンス)は、大人だけの問題ではありま
せん。特に、若者の間で起こる交際相手からの暴力をデートDVと
いいます。
デートDVは、男女交際の中で、男らしさ、女らしさを誤解し、相手を
思い通りに動かしたり、相手の人格、意見を尊重しないで、自分の
価値観を押しつけたりする「力と支配の関係」になっていることが
根底にあっておこります。
どんな理由があっても、暴力を振うことはいけないことであり、本当
の愛情や熱意の表現ではありません。お互いを尊重し合う気持ち
で接する対等な関係を持つことが大切です。
●デートDVの様々な形
[言葉の暴力・こころへの暴力]
・相手に向かってばかにした言葉や汚い言葉を言う。
・「別れる」「自殺する」といって脅す。
・服装、髪型、行動をチェックする。
・勝手にメールをチェックしたり、アドレスを消去する。
・相手をつけ回す。
・他の友人とのつきあいを嫉妬したり、制限する。
[性的暴力]
・キスやセックスを強要する。
・避妊に協力しない。
・いやがっているのにボルノなどを無理やり見せる。
[経済的な暴力]
・バイトをさせる、やめさせる。
・お金をねだる。
・借りたお金を返さない。
●未然防止に向けて
☆いやなことは「いや」とはっきり断る態度を身につけさせましょう。
☆暴力はいけないということを小さい頃から認識させましょう。
☆性別にかかわらず、お互いを大切にしようとする態度を育てま
しょう。
]]>親または親にかわる養育者が、子どもの心身を傷つけ、健やかな
成長・発達を損なうような行為をいいます。児童とは、18歳未満の
子どもが対象です。言葉のイメージから暴力的な行為だけが想像
されがちですが、食事を与えなかったり、子どもの心に傷を
負わせるような言動も虐待です。
子どもの心に傷を負わせるような言動、結構知らず知らずやって
ないでしょうか。叱っているつもりが、怒ってしまって、その言葉が
子どもの心を傷つけているような、言葉の暴力になっていないで
しょうか。子どもの心は何気ない親の言葉に強く反応します。
怒りっぱっなしになってしまって、児童の心を著しく傷つけている
ようなことはないでしょうか。子どものためにといった言葉でも、
子どもにとっては、心理的暴力としか取られかねない言動として
子どもの心の奥深くに残ってしまうことがありがちなので、注意が
必要です。
●虐待の種類
・身体的虐待…児童の身体に外傷が生じるおそれのある暴行を
加える。
・性的虐待…わいせつな行為をすること。または児童にわいせつな
行為をさせること
・養育の怠慢ないしは拒否…保護者としての看護を著しく怠る
(ネグレクト)
・心理的虐待…児童の心を著しく傷つけるような言動を行う。
児童の目の前でドメスティック・バイオレンス(DV)
が行われる。
●虐待の現状
[児童虐待相談の年度別推移状況(件数)]
・平成13年度…23274件 ・平成14年度…23738件
・平成15年度…26569件 ・平成16年度…33408件
・平成17年度…34472件 ・平成18年度…37323件
・平成19年度…40639件
年々、増えてきている状況にあります。
[被虐待児の年齢内訳の状況(H19年度)]
0~3歳未満…18.8%
3歳~就学前児童…23.1%
小学生…36.1%
中学生…16.9%
高校生・その他…5.1%
小学生以下に対する虐待が80%近くを占めています。弱い立場の
者に対して虐待をする行為が目立ちます。一体、今の親たちは
どうなってしまったんでしょう。
●虐待は皆さんのまわりでも起こりうる!
「虐待かな?」とおもったら…、すぐに市町児童相談窓口、児童
相談所へ連絡を!
●大人の世界でもある虐待…パワハラ、セクハラ等、大人の世界
でも虐待は起こっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自分のことしか考えずに、弱い立場の者に虐待を加える風潮が
止みません。以前書いた、大人の「私事化」の進行です。それぞれ
が相手を思いやって、やさしい気持ちで人と接することができれば
こういうことは起こり得ません。自分のことしか考えない、人の
気持ち・立場に立って考えられない大人にはなりたくありません。
子どもたちのためにも、手本となる大人がしっかりしなければ
ならないと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
明日は、医者と晩は会合です。平成24年に統合する予定の
新中学校の「建設委員会」の第1回の会合です。これも、いつの間
にか代表者になっていました。事業に遅延が生じているので
夏休みの間に相当数、会議が持たれそうです。
そのため、明日の訪問等は滞りそうです。ご了承ください。
]]>『地域全体で「早ね早おき朝ごはん」の習慣をつくりましょう!』
子どもが登校するときには、「おはよう」の声かけ運動や生活習慣
に関する標語やポスターを作り「早ね早おき朝ごはん」が意識
できる地域イベントを行ってみませんか。
子どもの規則正しい生活リズムをつくっていくのは、大人(地域)の
つとめです。家庭でも、睡眠や食事だけでなく、テレビやパソコン
などメディアとのつきあい方など、子どもたちの生活習慣を
見直していただくとともに、大人(親)自身の生活習慣についても
振り返ってみましょう。
●朝食摂取率
・ 小学6年生 食べている…………87%
どちらかといえば……8%
あまり…………………4%
全く……………………1%
・ 中学3年生 食べている…………81%
どちらかといえば… 11%
あまり…………………6%
全く……………………2%
●起床時間
・ 小学6年生 ~6時…………………7%
6時~7時……………69%
7時~8時……………24%
8時~…………………0%
・ 中学3年生 ~6時…………………6%
6時~7時……………64%
7時~8時……………39%
8時~…………………1%
(平成20年文部科学省全国学力状況調査(三重県)より)
データが、一地方のものであるため、あまり参考にはなりませんが
このデータを皆さんがどうとられるかは自由です。
しかし、ちょうど夏休みが始まろうとしています。お子さまをお持ち
の方は、この習慣をつけられるかどうかによって、この夏休みだけ
でなく、その後の生活に、影響してきます。時間管理は、リズムと
同じです。その生活のリズムにうまく入っていくと、効率的に行動
出来ますが、新しいリズムに合わせて生活を作ろうとすると、
どこかに歪みが生じがちです。1,2,3、のリズムで生活し体が
覚えることが大切です。日によって、2,1,3やA,1,3などの
リズムでは、時間はメリハリのないだらけたものになっていきます。
「早ね早おき朝ごはん」という当たり前のリズムを生活の一部と
して捉え、それを継続していくことが、子どもの健やかな成長に
大きく寄与します。
]]>~子どものすこやかな成長には、「規則正しい生活リズム」が必要
です!~
早寝早起きして、朝食をとる。子どもたちの健やかな成長には、
こうした規則正しい生活リズムが必要です。これが乱れると、
学習意欲や体力、気力の低下を引き起こしてしまうこともあります。
『「早ね早おき朝ごはん」を習慣にするために』
①「まずは、早おき」
起きる時刻(6時~7時)を決め、毎日朝の光をいっぱいに浴びま
しょう。
朝の光は、脳の中の体内時計ををリセットしてくれます。
②「朝のお手伝い&朝ごはん」
簡単で毎日続けられるお手伝いは、子どもたちの五感を刺激
します。
空腹になると体が朝食を求めます。朝食は脳と体を活性化させる
大切な栄養源となります。朝ごはんを食べることで、一日を元気
よく過ごすことができます。
③「しっかり活動(運動)」
昼間しっかり活動すれば、夜になるとくたくたになって心地よく眠り
がやってきます。
④「そして、早ね」
人のからだには、メラトニンというホルモンがあり、スムースな眠り
を助けています。
夜ふかしをしていつまでも明るいところにいると、メラトニンの分泌
が悪くなります。毎日決まった時間に明かりを消して、良質な睡眠
を取ることが大切です。
]]>2004年にオリックスとの合併で消滅した近鉄ですが、それ以前
にも他球団との合併が画策されたことがあります。
1965年オフには当時のオーナー・佐伯勇が広島カープオーナー・
松田恒次と秘密裏に会い、合併を持ちかけています。佐伯の腹案
では近鉄と広島が合併、本拠地を広島県広島市に置き、セ・リーグ
所属とする。球団事務所・フロントや首脳陣は両オーナー相談の上
で決定し、新しい首脳陣が選手50人を人選資本は近鉄・広島で
半々( 余談ですが、広島県の福山通運株式会社は近鉄と資本
関係があります。)球団愛称は公募する、と具体的な内容まで
踏み込まれていましたが、松田はかねてから純益金の分配制度
改正(1952年以降のフランチャイズ制度以降は試合開催で得た
利益は全額ホームチームのものになっていましたが、それを
1リーグ時代のホーム7、ビジター3の割合での分配に戻すという
もの)をセ・リーグ会長・鈴木龍二に申し入れていたこともあって、
佐伯の提案を拒否しました。
前述のように、親会社である近鉄(当時関西急行鉄道)は、戦中に
国策で南海と合併しており、そのときには既にホークスの前身で
ある南海軍が存在していました(合併後に近畿日本軍、戦後は
グレートリングと改称しています)。この合併が解消されてなければ
近鉄バファローズという球団は誕生すらしていなかった可能性が
ありました(同一会社による複数球団の所有は禁止されています)
。ただし当時としても無理があった合併で、戦時体制下での国から
の命令でなければ両社は合併などしておらず、この合併は戦後
すぐに解消されています。
この合併話、お互いのファンにとって実現せずによかったです。
【幻の移転計画】
本拠地の変遷は先述の通りであるが、他に下記のような移転計画
がありました。
1960年代には近鉄の東端である名古屋への移転を計画しました
が、愛知県を保護地域としている中日ドラゴンズの反対で実現
しませんでした。阪神間が4チームがひしめき合う競合地域でした
ので、近鉄は逃げた格好ですが、それ以前に、球場の改修、
サービスの向上等、するべきことはたくさんあったはず。逃げては
いけません。ナゴヤ球場及びナゴヤドームでは1990年代後半
まで、年数試合の主催試合を開催していました。私は、毎年、近鉄
特急に乗って、応援に行っていました。
1970年代に西本幸雄が佐伯勇に、近鉄沿線の花園ラグビー場
周辺を整備して野球場を建設し、本拠地を移転することを進言した
ところ、「(お金が)幾らかかると思っているんだ」と返されたといい
ます。ここら辺が、近鉄の渋ちんで中途半端なところでした。
当時新聞報道もされ、かなり具体的かと思われたのですが、鶴の
一声でとん挫しました。
1980年代初頭の藤井寺ナイター問題時には、東大阪市が受け
入れに名乗りを上げたことが新聞報道されたが、藤井寺の
ナイター設備設置計画がまとまったことで立ち消えとなりました。
残念な結果となりました。ここでも、思いきった球団改革をできな
かったところに近鉄の弱さが出ていたと思います。たら、ればです
が、当時から、近鉄ファンが多く、50万都市の東大阪市に本拠地
を置けば、大阪市や奈良県からのアクセスも良いことから、観客
動員数も増えたことでしょう。市からの協力もあったことなどから、
ここは、この話に乗るべきだったと思います。藤井寺でもあれだけ
の人数を集めたのですから、東大阪市なら違う方向性が見出され
球団消滅も避けられたかもしれません。河内の球団なんだから、
中河内の東大阪市がぴったりだったような気がします。最も、
東大阪市も、全国有数の赤字都市。どれだけの市民球場が
出来たかは、疑問ですが…。後にできる、大阪ドームとダブル
フランチャイズで頑張ってほしかったです。
]]>③家族で十分話し合いましょう
ケータイを子どもの持たせる際には、どんなことに注意する必要が
あるか学んだうえで、何のために持つのか、本当に必要なのか、
十分話し合いましょう。
[ケータイは本当に必要ですか]
〇親の持たせる目的と、子どもの持つ目的は一致していますか?
〇ケータイの危険性について、認識していますか?
⇓
[持たせる前にまず家族のルールを作りましょう!]
ケータイを使うには、公共のマナーを知ることはもちろん、家庭で
のルールづくりが必要です。子どもとよく話し合って「我が家の
ルール」を決めましょう。
(例)『我が家のルール』
●知らない人とメールのやり取りをしない
●利用時間と時間帯を守る(深夜は使わない)
●自分がされて嫌なことは相手にもしない
●自分や友達の写真や個人情報を載せない
●変なことがあったらすぐに親や先生に相談する
⇓
[「フィルタリング機能」を利用しましょう!]
インターネットの有害情報から子供を守るために、必ず
フィルタリング機能を利用しましょう。
(フィルタリング機能:インターネットの有害情報をブロックしてくれる
サービス)
※平成21年4月1日より
「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備
等に関する法律」が施行されました。⇒保護者が、責任をもって、
子どものインターネットを活用する能力の適用に努め、ネット犯罪
やいじめ等にの問題に留意するよう明記されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
時間を戻して、投稿しています。11日は、PTAで疲れて、中々
訪問、コメント返しができませんでした。ご容赦ください。
12日は、溜まっているPTAの仕事を少しでも片付けたいと思って
います。訪問等、滞ることが予想されますので、よろしくお願い
します。
]]>ケータイ(携帯電話)のメールやインターネット機能は、さまざまな
人々といつでも、どこでもコミュニケーションを等が可能な便利な
道具です。熱中しすぎるといわゆる「依存症」になってしまい、生活
が乱れてしまう子どもも出ています。
また、子どもが犯罪被害やいじめに遭ったり、逆に誹謗中傷や
名誉毀損・業務妨害等の加害者となるトラブルが全国で発生して
います。
①ケータイ利用における親の認識と子どもの実態
文部科学省の平成20年調査では、ケータイの利用について
子どもと親で認識のギャップがあることが浮き彫りになりました。
『親の認識と子どもの実態』
●家庭のルールは決めていない
・親の認識…26.2%
・子どもの実態…54%
●子どもがブログを公開している
・親の認識…19%
・子どもの実態…41.6%
●子どもがプロフを公開している
・親の認識…16.5%
・子どもの実態…44.3%
※中高生の6割超がトラブルを経験
②子どもの犯罪被害・犯罪加害の現状
出会い系サイトだけでなくプロフなど非出会い系サイトを通じて、
見ず知らずのの人と会い、被害に遭うケースが多くなっています。
悪意を持った大人は、子どもたちへ言葉巧みに近づいてきます。
危険なサイトへは近づかない勇気を持ち、ネット上の掲示板へ、
他人の誹謗中傷や個人情報を書き込むことは、絶対にしないよう
機会がある度に話をしましょう。
※被害者数
・18歳未満の児童…724
・18歳以上(大人)…128
▲出会い系サイトに関係した事件の被害者の85%が18歳未満
の児童
▲被害児童の98.6%がケータイを使用
]]>我が大阪近鉄バファローズの歴史です。
【ネーミングライツ】
2004年のキャンプ入りを目前とした1月31日、近鉄球団は
2005年以降に球団名称を第3者に販売する「命名権」ビジネスを
実施することを明らかにしました。基本スポンサー料金を年間
36億円とし成績に応じてそれを増減させ、スポンサーはチーム名
やユニフォーム、球場への広告掲示などができるとしました。
市民に親しまれる球団にするためには球団本体だけに頼っては
前進しないという考えを示した発案であしたが、安易に球団名が
変更されてしまうことに対し他球団オーナーなどプロ野球界から
「野球協約に反するものであり認められない」などと反発が相次ぎ
ました。特に発言が球界の動向に大きな影響を与えるといわれた
読売ジャイアンツオーナー・渡邉恒雄が猛反対したこともあり、
球団名変更に必要なオーナー会議の同意を得られる目処が
立たず、2月5日に方針を白紙撤回することを発表しました。
ネーミングライツ売却は戦前の大東京軍がライオン歯磨を
スポンサーに迎えて誕生したライオン軍(1937年秋季-1940年)、
戦後パ・リーグ球団の高橋ユニオンズがトンボ鉛筆をスポンサー
にしたトンボユニオンズ(1955年)、西武ライオンズの前身である
太平洋クラブライオンズ(1973年-1976年)・クラウンライター
ライオンズ(1977年-1978年)、ロッテオリオンズ(1969年-
1970年。1971年大毎からロッテに正式に譲渡)などの例が
あります。近鉄の場合、命名権の販売対象企業として名前が
挙がっていたのが消費者金融のアコムであったため、青少年への
影響面から認められなかった理由の1つに挙げられていました。
近鉄の命名権販売が認められなかったため、「近鉄の球団消滅は
この時点で避けられないものとなってしまった」という声があります。
まさにその通りです。たら、れば、は禁物ですが、このネーミング
ライツが認められていれば、球団の赤字は解消し、大阪近鉄
バファローズは存続していたのです。合併問題が深刻化する頃
には、一部球界関係者も「今から思えば、ネーミングライツの承認
が最良のソフトランディングだった」と語っていました。
一部の自分の利益しか考えない球団のオーナーが、ファンから
大きなものを奪っていったことは確かです。1リーグ制にこだわり、
それは、選手のストなどで回避されましたが、そのせいで、球団
存続という大前提が陰に隠れてしまいました。結局、さびしいながら
も身売りという選択肢もなくなり、最悪の球団消滅への道を
たどって行ったのです。その陰には、オリックスの宮内、読売の
渡邉の裏工作があり、そのレールに乗らされてしまったというのが
実情です。
パ・リーグは、鉄道関係、せ・リーグは報道関係(阪神は最初、
パ・リーグ所属の予定でした)で構成されましたが、大近鉄と
呼ばれた近鉄も、時代とともに弱まり、力関係の逆転が生み出した
悲劇と言えるでしょう。佐伯オーナーが生きていればこんな最悪の
結果にはならなかったと思います。私たち近鉄ファンは不況による
被害をもろに被った被害者でもあったのです。
余談ですが、それ以来、わたしはプロ野球を観ていません。
熱狂的なファンだった人ほど、その傾向にあるようです。事実、
それらの人の半数以上が、まだ、プロ野球を観ていないそうです。
オリックスからは、バファローズの名前を返してほしいです。
]]>【王貞治との奇妙な縁】
2001年にタフィ・ローズがシーズン本塁打日本記録更新を賭けて
挑んだダイエー戦で、ダイエーの選手が王貞治監督のシーズン
本塁打記録を守るために勝負を避けるという事件が発生しました。
この事件に関し、近鉄フリーク作家として活動、今はパ・リーグ
サイドのスポーツ作家である元近鉄応援団長・佐野正幸は著書
「プロ野球の世界に生きるということ(長崎出版)」で、タブーと
いわれた「世界の王批判」と取れる一文を発表しています。
王貞治にハンク・アーロンの通算本塁打記録を破る756号を
打たれた投手が、後に近鉄で抑え投手として活躍し二年連続
リーグ最多セーブを記録した鈴木康二朗であり、更に王貞治の
現役最後の本塁打となった通算868号を打たれたのが、マニエル
とのトレードでヤクルトに放出されたかつての左腕二枚看板の
一角・神部年男です。
余談ですが、そもそも、近鉄と巨人は、頻繁にトレードが行われて
おり、その内容も、近鉄に不利な内容が多かったことから、近鉄は
巨人の2軍かとまで言われていた時期がありました。裏で、
いろいろあったのでしょうか。過ぎた話ですが、今となっては、真相
はわかりませんし、わかったところでもう遅い話です。
【助っ人外国人選手】
近鉄は助っ人外国人選手の打者が活躍するチームとして有名で
あり、一時期の阪神ファンやロッテファンなど他球団ファンからは
「近鉄は良い外国人選手を取ってくるのがうまい」とうらやましがら
れる事も多くありました。しかし、これは、近鉄スカウト陣の努力で
あり、さらに、日本の野球に合うように打法や投球術を指導した
コーチ陣の努力の賜であります。
近鉄の優勝と外国人選手の活躍は切っても切り離せないものが
あり、1979年にはマニエル、1989年にはブライアント様、2001年
にはタフィ・ローズがチームのリーグ優勝と共にMVPに輝いて
います。外国人選手が3度MVPに選出されているチームは他に
ヤクルトスワローズのみであり、外国人選手がMVPを受賞した
回数が2006年現在11回であるため、極めて多いのです。
他にもタイトルホルダーになった選手も多く、タイトルをとれなくても
打率.280、20本塁打クラスの打者が多くいます。それら外国人
選手を4パターンに分けられます。
1.日本の他球団から移籍してきたケース(代表例:ジョーンズ、
マニエル、ブライアント様)
2.ブルワーズルート(代表例:オグリビー)
3.レッドソックスルート(代表例:ローズ、クラーク)
4.ドジャースルート(代表例:ギルバート、バーグマン、パウエル)
1.に関して、マニエルは守備の悪さがヤクルト・広岡達朗監督の
チーム編成方針上問題となり、大砲を欲していた近鉄との間で
神部年男とのトレードとなりました。近鉄としては、長年、投手陣の
柱として活躍してきた神部年男とのトレードであり、それまでの投手
中心の野球から、西本野球への過渡期でのトレードでした。
ブライアント様はデービスの大麻事件による解雇により、急遽補強
が必要となった結果の中日からの金銭トレードです。中日では2軍
で出番のなかったブライアント様ですが、近鉄コーチ陣の打法改造
により、あれだけの活躍をする選手となりました。1のパターンは
他にも1993年のレイノルズなども挙げられます(.298 18本
50打点と活躍しましたがその年限りで解雇されました)。
2.は、1980年代の近鉄の主な外国人選手獲得ルートです。当時
近鉄の友好球団がブルワーズであったことに起因しています。
3.は、1990年代である。このルートで獲得してきた選手が、
「毎年のように新外国人選手が活躍する」イメージを植えつける
要因の一つとなったと言えます。他にも1994-1995年在籍の
スチーブンス、1996年在籍のC・D(ドネルス)などがいます。
なぜレッドソックスルートと言うかというと、近鉄の外国人選手の
スカウト市原稔がアメリカで懸命にスカウト活動をするうちに、
独自にレッドソックスとのパイプを築きあげたことにあります。
レッドソックスルートで獲得してきた最後の選手は2001年在籍の
フレッディ・ガルシアとウィル・フリントです。
4.は2001年開幕時に、近鉄が野茂つながりでラソーダを
アドバイザーに迎え、ドジャースとのパイプができたことで選手が
来るようになったルートです。これにより3の長らく優良外国人打者
を獲得してきたレッドソックスとのつながりは絶たれました。
ギルバートは、当時近鉄の遊撃手で打撃を期待できる選手が
いなかったため、ラソーダに良い選手がいないか意見を求めた
結果獲得できた選手であり、当時3A通算1700安打を記録して
いました。バーグマンもシーズン途中からの入団でしたが、
オリックス戦を中心に活躍し、1年目は10勝を挙げました。
パウエルも2001年に途中入団してきましたが4勝5敗、防御率は
4点台半ばとあまり良い成績とはいえませんでしたが、2年目に
投手タイトルを総なめするほどの活躍を見せ、二桁勝利の常連と
して息の長い活躍を見せています。
選手を取ってくる先のチームカラーを反映してか、レッドソックス
ルートで獲得してきた選手は打者が活躍し、ドジャーズルートは
投手が活躍する傾向にありました。ドジャースルートで獲得してきた
打者はギルバートを除いて成功したと言える選手はいません。
近鉄で活躍する投手はアキーノ、マットソン、パウエルなど技巧派
投手ばかりで、デラクルーズ、ツイドリー、バルデス、ロドリゲス、
カラスコなどMAX150kmを越えるという触れ込みの速球派投手
は、活躍しなかったどころか全く成績を残せませんでした。
近鉄が優勝した年は、外国人選手が活躍しているのは確かです
が、決して、外国人選手頼りだったわけではありません。
第1次いてまえ打線の時は、マニエルを中心に、栗橋、羽田、小川、
佐々木などまわりにも素晴らしい選手がいました。第2次の際は、
石井等、第3次の時は、中村紀等などが周りを固め、素晴らしい
打線を形成していました。
それぞれのいてまえ打線により、おもしろい野球をし、近鉄ファン
を魅了しました。「いてまえ打線」、語り続けたい言葉の一つでも
あります。
]]>【2ヶ月足らずで16ゲーム差を逆転】
題字だけを見れば、すごいなぁ、という内容ですが、この2ヶ月
足らずで16ゲーム差を逆転したことは、近鉄にとって、また、近鉄
ファンにとって、それほど喜ばしいことではありませんでした。
むしろ、最下位に近い成績でもいいとさえ思っていました。理由は
鈴木啓示監督の解任をファンが期待していたから。
鈴木啓示は選手としての力量と実績は誰もが認めていましたが、
監督としては、ファンは全く評価していませんでした。
1993年、仰木彬監督の後を継いだ鈴木啓示監督でしたが、
ファンが心配していたとおり、選手との折り合いが合わず、4位に
終わりました。特に、野茂、吉井、石井など主力との確執が就任前
から噂されていました。2年目の1994年の近鉄は開幕戦で守護神
赤堀が逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれて負けるという波乱の
スタートを切りました。それも、8回までノーヒット・ノーランを続けて
いた野茂英雄に対し、9回先頭の清原にむきになって直球勝負に
出て、2塁打を打たれ満塁のピンチを迎えると、赤堀に変えました。
ここは、まだ余力を充分残したエースに試合を託すべきでした。
このことによって、監督と投手陣との確執が深まりました。案の定、
チームは低迷。6月17日には首位西武に16.0ゲーム差をつけ
られ、19勝34敗、借金15の最下位に沈みます。そして、ここで
野茂が故障で戦線を離脱します。ファンは、しめた!と思いました。
ファンの描いていたシナリオは、このまま、低迷して鈴木監督の
休養、監督解任です。しかし、エース不在にもかかわらず、この日
を境に近鉄は調子を上げ、連日のようにいてまえ打線が爆発。
1969年に記録した12連勝を越える13連勝の球団新記録を打ち
立てて、ついに8月10日には首位に立ちます。この54日間で、
近鉄は32勝6敗、勝率.842という驚異的な成績を残しました。
最終的には首位西武に7.5ゲーム差で同率の2位に終わりました
が、一時的にとはいえ、わずか2ヶ月足らずで16ゲーム差を
ひっくり返した近鉄の勢いは、当時のファンに強い印象を
残しました。近鉄は、しばしば、十数ゲーム差を逆転するという
シーズンを戦いましたが、いつも、最後は沈み、盛り上げるだけ
盛り上げて、結局2位か3位に終わるというエキサイトな戦い方を
しました。
これはわざとです。
これが、近鉄の魅力の一つでもありました。
この1994年のペナントレースは当時プレーしていた選手に
とっても非常に印象に残る出来事だったようで、近鉄退団後の
石井浩郎は、週刊ベースボールから受けたインタビューの中で、
「確か33試合で4回しか負けなかったんですよ。どんな時でも
諦めなければ何とかなるんだ、ということで移籍した先では必ず
この話をしました。」と語ったことがあります。
しかし、このことによって、鈴木監督は留任。野茂は退団。ファンは
がっくり。鈴木監督の野球が面白くなくて、選手起用や投手の替え
時が非常に悪いのをファンはよくわかっていたんです。
ところが、振り返ってみれば、野茂の大リーグでの活躍、現在の
大リーグでの日本人選手の活躍は、この鈴木監督のおかげかも
知れません。
なにせ、野茂に退団を決心させ、パイオニアとして、大リーグ挑戦
の道筋をつける大きな原因となった人だったんですから。
]]>〇不登校の状況
不登校については、「どの子にも、どこの学校でも起こり得る」
「学校生活における友人関係、家庭生活における親子関係、
生活環境の急激な変化など、様々な要因が絡んでいる」という
認識をもつことが大切です。
その上で、私たち大人は、日頃から子どもの理解に努め、子ども
の生活の変化を見逃さないよう十分に目を配ることが大切です。
〇不登校の兆候
・朝になると、腹痛や頭痛を訴えたり、学校に行きたくないと
言ったりする。
・成績が急に低下する。
・自分の部屋に閉じこもりがちになり、家族を避けようとする。
・食事が不規則になり、偏食や拒食、過食などの傾向がみられる
ようになる。
・朝、起床できないことが増える。
・学校や友達の不満をつぶやくようになる。
・表情が暗くなり、人の視線を気にしたり、友だちから避けて行動
したりするようになる。
※『いじめに気づいたら、すぐに学校(担任)に相談しましょう。』
最初の対応によって、子どもがさらに心を閉ざしてしまう場合もある
ので、子どもの思いに配慮する必要があります。学校内外に設けら
れた教育相談を利用して、心の負担を軽くすることが大切です。
[不登校の解消に向けて、家庭と学校等との連携が重要です]
●学校と子どもをつなぐ…学校は家庭訪問で学業や生活面での
相談にのる。電話をかけたり、迎えに
行ったりする。
●家庭の支え……………家族関係や家庭生活の改善を図る。
●専門機関の活用………スクールカウンセラー等の専門的な
相談を受ける。
教育支援センターを利用する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いじめの問題にしても、不登校の問題にしても、やはり家庭の役割
は大きいです。普段から、コミュニケーションを取り合うことが必要
です。子どもから出ている微細なサインに気がついてあげられるの
は家族が一番です。その中でも、「笑顔」に注視してみましょう。
]]>〇いじめの状況
いじめについては、「いじめは人間として絶対に許されない」「どの
子にも、どこの学校でも起こり得る」という認識をもつことが大切
です。
学校非公式サイト等を使った「ネットいじめ」も依然として深刻な
問題となっており、いじめの未然防止、早期発見、早期対応の
ため、私たち大人が、日頃から子どものサインを見逃さないよう
子どもの言動を見極めるとともに、きめ細やかな関わりをもつこと
が必要です。
〇いじめの兆候
・口数が少なくなり、沈みがちになる。
・衣服が汚れていたり、けがをしたりして帰ってくる。
・成績が急に低下する。
・学校に行きたがらない。
・家のお金がよく無くなる。
・新しい文具等がなくなったり、汚損したりしている。
・体の不調を頻繁に訴えるようになる。
・友だちが来ても喜ばない。
※『いじめに気づいたら、すぐに学校(担任)に相談しましょう。』
最初の対応によって、子どもがさらに心を閉ざしてしまう場合もある
ので、子どもの思いに配慮する必要があります。学校内外に設けら
れた教育相談を利用して、心の負担を軽くすることが大切です。
[いじめをしない、いじめに気づく、いじめを許さない心を育む
ために]
●子どもが安らぐ家庭の雰囲気をつくる。
子どもと話し子どもと遊ぶ、子供を叱ることが、子どもの心を育て
ます。
●子どもを見守る地域の雰囲気をつくる。
子どもとのあいさつ、会話、子どもへの注意が、子どもの心を
育てます。
]]>子どもの交通安全が多発しています。
家庭でも、身近に起きた子どもの交通事故について、話し合う機会
を持ち、子供に交通ルールを守り、正しい交通ルールを身につけ
させるよう指導することがた大切です。
〇多発している子どもの交通事故と指導のポイント
●道路への飛ぶ出し事故
転がったボールや友達を追いかけるなどして、道路に飛びですこと
が非常に危険であることや、道路の正しい横断の方法について
指導しましょう。
●自動車同乗時のシートベルト(チャイルドシート)非着による事故
自動車の衝突や急ブレーキの制動時に、車内にたたきつけられ
たり、フロントガラスを突き破って車外に放出されたりしないよう、
すべての座席において、シートベルトやチャイルドシートを着用する
必要があることについて指導しましょう。
●自転車乗用中の事故
自転車も道路交通法では「車両」です。「自転車安全利用5則」を
もとに、そのほか、傘さしの禁止、走行中の携帯電話やヘッド
フォン使用等の禁止も含め、安全な自転車乗り方全般にについて
指導しましょう。
なお、道路交通法の改正により、平成20年6月1日より、児童
(6歳以上13歳未満)、幼児(6歳未満)は自転車歩道通行可の
標識がなくても歩道を通行することができるようになりました。
※自転車乗用中のヘルメット着用が努力義務化されました
道路交通法の改正により、、次の通り「自転車乗用中のヘルメット
着用の努力義務」が施行されました。
『「乗用中ヘルメット着用努力義務の導入」
道路交通法第63の10
児童又は幼児を保護する責任のある者(児童・幼児の親や、幼児
を自転車に同乗させる運転手のほか、児童にに自転車通学を
許可している場合の小学校の教員などが含まれると考えられます。
)は、児童又は幼児を自転車に乗車させるときは、当該児童又は
、当該児童又は幼児にに乗用用ヘルメットをかぶらせるよう努め
なければならない』
[自転車安全利用5則]
①自転車は車道が原則、歩道は例外
②車道は左側を通行
③歩道は歩行者優先で、車道よりを徐行
④安全ルールを守る
・飲酒運転・二人乗り・並進の禁止
・夜間はライトを点灯
・交差点での信号遵守と一時停止・安全確認
⑤子どもはヘルメットを着用
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回の内容はあたり前のことです。しかし、現状はどうでしょう。
大人がまず、見本にならなければ子どもにはわかりません。
あたり前のことをあたり前にする。簡単なことです。
子どもを指導する親は、あたり前のことをもう一度見直し、この
機会に子どもの手本になり指導できるよう、もう一度自分の行動を
よく考えてみましょう。
]]>