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【第157回】子どもの育ちを支える社会を目指して⑪ [教育]

【規則正しい生活リズムについて①】

~子どものすこやかな成長には、「規則正しい生活リズム」が必要

です!~

早寝早起きして、朝食をとる。子どもたちの健やかな成長には、

こうした規則正しい生活リズムが必要です。これが乱れると、

学習意欲や体力、気力の低下を引き起こしてしまうこともあります。

『「早ね早おき朝ごはん」を習慣にするために』

①「まずは、早おき」

起きる時刻(6時~7時)を決め、毎日朝の光をいっぱいに浴びま

しょう。

朝の光は、脳の中の体内時計ををリセットしてくれます。

②「朝のお手伝い&朝ごはん」

簡単で毎日続けられるお手伝いは、子どもたちの五感を刺激

します。

空腹になると体が朝食を求めます。朝食は脳と体を活性化させる

大切な栄養源となります。朝ごはんを食べることで、一日を元気

よく過ごすことができます。

③「しっかり活動(運動)」

昼間しっかり活動すれば、夜になるとくたくたになって心地よく眠り

がやってきます。

④「そして、早ね」

人のからだには、メラトニンというホルモンがあり、スムースな眠り

を助けています。

夜ふかしをしていつまでも明るいところにいると、メラトニンの分泌

が悪くなります。毎日決まった時間に明かりを消して、良質な睡眠

を取ることが大切です。


【第156回】我が大阪近鉄バファローズ:エピソード⑧ [大阪近鉄バファローズ]

過去の合併計画】

2004年にオリックスとの合併で消滅した近鉄ですが、それ以前

にも他球団との合併が画策されたことがあります。

1965年オフには当時のオーナー・佐伯勇が広島カープオーナー・

松田恒次と秘密裏に会い、合併を持ちかけています。佐伯の腹案

では近鉄と広島が合併、本拠地を広島県広島市に置き、セ・リーグ

所属とする。球団事務所・フロントや首脳陣は両オーナー相談の上

で決定し、新しい首脳陣が選手50人を人選資本は近鉄・広島で

半々( 余談ですが、広島県の福山通運株式会社は近鉄と資本

関係があります。)球団愛称は公募する、と具体的な内容まで

踏み込まれていましたが、松田はかねてから純益金の分配制度

改正(1952年以降のフランチャイズ制度以降は試合開催で得た

利益は全額ホームチームのものになっていましたが、それを

1リーグ時代のホーム7、ビジター3の割合での分配に戻すという

もの)をセ・リーグ会長・鈴木龍二に申し入れていたこともあって、

佐伯の提案を拒否しました。

前述のように、親会社である近鉄(当時関西急行鉄道)は、戦中に

国策で南海と合併しており、そのときには既にホークスの前身で

ある南海軍が存在していました(合併後に近畿日本軍、戦後は

グレートリングと改称しています)。この合併が解消されてなければ

近鉄バファローズという球団は誕生すらしていなかった可能性が

ありました(同一会社による複数球団の所有は禁止されています)

。ただし当時としても無理があった合併で、戦時体制下での国から

の命令でなければ両社は合併などしておらず、この合併は戦後

すぐに解消されています。

この合併話、お互いのファンにとって実現せずによかったです。

【幻の移転計画】

本拠地の変遷は先述の通りであるが、他に下記のような移転計画

がありました。

1960年代には近鉄の東端である名古屋への移転を計画しました

が、愛知県を保護地域としている中日ドラゴンズの反対で実現

しませんでした。阪神間が4チームがひしめき合う競合地域でした

ので、近鉄は逃げた格好ですが、それ以前に、球場の改修、

サービスの向上等、するべきことはたくさんあったはず。逃げては

いけません。ナゴヤ球場及びナゴヤドームでは1990年代後半

まで、年数試合の主催試合を開催していました。私は、毎年、近鉄

特急に乗って、応援に行っていました。

1970年代に西本幸雄が佐伯勇に、近鉄沿線の花園ラグビー場

周辺を整備して野球場を建設し、本拠地を移転することを進言した

ところ、「(お金が)幾らかかると思っているんだ」と返されたといい

ます。ここら辺が、近鉄の渋ちんで中途半端なところでした。

当時新聞報道もされ、かなり具体的かと思われたのですが、鶴の

一声でとん挫しました。 

1980年代初頭の藤井寺ナイター問題時には、東大阪市が受け

入れに名乗りを上げたことが新聞報道されたが、藤井寺の

ナイター設備設置計画がまとまったことで立ち消えとなりました。

残念な結果となりました。ここでも、思いきった球団改革をできな

かったところに近鉄の弱さが出ていたと思います。たら、ればです

が、当時から、近鉄ファンが多く、50万都市の東大阪市に本拠地

を置けば、大阪市や奈良県からのアクセスも良いことから、観客

動員数も増えたことでしょう。市からの協力もあったことなどから、

ここは、この話に乗るべきだったと思います。藤井寺でもあれだけ

の人数を集めたのですから、東大阪市なら違う方向性が見出され

球団消滅も避けられたかもしれません。河内の球団なんだから、

中河内の東大阪市がぴったりだったような気がします。最も、

東大阪市も、全国有数の赤字都市。どれだけの市民球場が

出来たかは、疑問ですが…。後にできる、大阪ドームとダブル

フランチャイズで頑張ってほしかったです。


【第155回】子どもの育ちを支える社会を目指して⑩ [教育]

【子どもの安全なネット利用について②】

③家族で十分話し合いましょう

ケータイを子どもの持たせる際には、どんなことに注意する必要が

あるか学んだうえで、何のために持つのか、本当に必要なのか、

十分話し合いましょう。

[ケータイは本当に必要ですか]

〇親の持たせる目的と、子どもの持つ目的は一致していますか?

〇ケータイの危険性について、認識していますか?

               ⇓

[持たせる前にまず家族のルールを作りましょう!]

ケータイを使うには、公共のマナーを知ることはもちろん、家庭で

のルールづくりが必要です。子どもとよく話し合って「我が家の

ルール」を決めましょう。

(例)『我が家のルール』

●知らない人とメールのやり取りをしない

●利用時間と時間帯を守る(深夜は使わない)

●自分がされて嫌なことは相手にもしない

●自分や友達の写真や個人情報を載せない

●変なことがあったらすぐに親や先生に相談する

               ⇓

[「フィルタリング機能」を利用しましょう!]

インターネットの有害情報から子供を守るために、必ず

フィルタリング機能を利用しましょう。

(フィルタリング機能:インターネットの有害情報をブロックしてくれる

サービス)

※平成21年4月1日より

「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備

等に関する法律」が施行されました。⇒保護者が、責任をもって、

子どものインターネットを活用する能力の適用に努め、ネット犯罪

やいじめ等にの問題に留意するよう明記されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

時間を戻して、投稿しています。11日は、PTAで疲れて、中々

訪問、コメント返しができませんでした。ご容赦ください。

12日は、溜まっているPTAの仕事を少しでも片付けたいと思って

います。訪問等、滞ることが予想されますので、よろしくお願い

します。


【第154回】子どもの育ちを支える社会を目指して⑨ [教育]

【子どもの安全なネット利用について①】

ケータイ(携帯電話)のメールやインターネット機能は、さまざまな

人々といつでも、どこでもコミュニケーションを等が可能な便利な

道具です。熱中しすぎるといわゆる「依存症」になってしまい、生活

が乱れてしまう子どもも出ています。

また、子どもが犯罪被害やいじめに遭ったり、逆に誹謗中傷や

名誉毀損・業務妨害等の加害者となるトラブルが全国で発生して

います。

①ケータイ利用における親の認識と子どもの実態

文部科学省の平成20年調査では、ケータイの利用について

子どもと親で認識のギャップがあることが浮き彫りになりました。

『親の認識と子どもの実態』

●家庭のルールは決めていない

 ・親の認識…26.2%

 ・子どもの実態…54%

●子どもがブログを公開している

 ・親の認識…19%

 ・子どもの実態…41.6%

●子どもがプロフを公開している

 ・親の認識…16.5%

 ・子どもの実態…44.3%

※中高生の6割超がトラブルを経験

②子どもの犯罪被害・犯罪加害の現状

出会い系サイトだけでなくプロフなど非出会い系サイトを通じて、

見ず知らずのの人と会い、被害に遭うケースが多くなっています。

悪意を持った大人は、子どもたちへ言葉巧みに近づいてきます。

危険なサイトへは近づかない勇気を持ち、ネット上の掲示板へ、

他人の誹謗中傷や個人情報を書き込むことは、絶対にしないよう

機会がある度に話をしましょう。

※被害者数

 ・18歳未満の児童…724

 ・18歳以上(大人)…128

 ▲出会い系サイトに関係した事件の被害者の85%が18歳未満

   の児童

 ▲被害児童の98.6%がケータイを使用


【第153回】我が大阪近鉄バファローズ:エピソード⑦ [大阪近鉄バファローズ]

今日も”使命”を果たします。

我が大阪近鉄バファローズの歴史です。

【ネーミングライツ】

 2004年のキャンプ入りを目前とした1月31日、近鉄球団は

2005年以降に球団名称を第3者に販売する「命名権」ビジネスを

実施することを明らかにしました。基本スポンサー料金を年間

36億円とし成績に応じてそれを増減させ、スポンサーはチーム名

やユニフォーム、球場への広告掲示などができるとしました。

市民に親しまれる球団にするためには球団本体だけに頼っては

前進しないという考えを示した発案であしたが、安易に球団名が

変更されてしまうことに対し他球団オーナーなどプロ野球界から

「野球協約に反するものであり認められない」などと反発が相次ぎ

ました。特に発言が球界の動向に大きな影響を与えるといわれた

読売ジャイアンツオーナー・渡邉恒雄が猛反対したこともあり、

球団名変更に必要なオーナー会議の同意を得られる目処が

立たず、2月5日に方針を白紙撤回することを発表しました。

ネーミングライツ売却は戦前の大東京軍がライオン歯磨を

スポンサーに迎えて誕生したライオン軍(1937年秋季-1940年)、

戦後パ・リーグ球団の高橋ユニオンズがトンボ鉛筆をスポンサー

にしたトンボユニオンズ(1955年)、西武ライオンズの前身である

太平洋クラブライオンズ(1973年-1976年)・クラウンライター

ライオンズ(1977年-1978年)、ロッテオリオンズ(1969年-

1970年。1971年大毎からロッテに正式に譲渡)などの例が

あります。近鉄の場合、命名権の販売対象企業として名前が

挙がっていたのが消費者金融のアコムであったため、青少年への

影響面から認められなかった理由の1つに挙げられていました。

近鉄の命名権販売が認められなかったため、「近鉄の球団消滅は

この時点で避けられないものとなってしまった」という声があります。

まさにその通りです。たら、れば、は禁物ですが、このネーミング

ライツが認められていれば、球団の赤字は解消し、大阪近鉄

バファローズは存続していたのです。合併問題が深刻化する頃

には、一部球界関係者も「今から思えば、ネーミングライツの承認

が最良のソフトランディングだった」と語っていました。

一部の自分の利益しか考えない球団のオーナーが、ファンから

大きなものを奪っていったことは確かです。1リーグ制にこだわり、

それは、選手のストなどで回避されましたが、そのせいで、球団

存続という大前提が陰に隠れてしまいました。結局、さびしいながら

も身売りという選択肢もなくなり、最悪の球団消滅への道を

たどって行ったのです。その陰には、オリックスの宮内、読売の

渡邉の裏工作があり、そのレールに乗らされてしまったというのが

実情です。

パ・リーグは、鉄道関係、せ・リーグは報道関係(阪神は最初、

パ・リーグ所属の予定でした)で構成されましたが、大近鉄と

呼ばれた近鉄も、時代とともに弱まり、力関係の逆転が生み出した

悲劇と言えるでしょう。佐伯オーナーが生きていればこんな最悪の

結果にはならなかったと思います。私たち近鉄ファンは不況による

被害をもろに被った被害者でもあったのです。

余談ですが、それ以来、わたしはプロ野球を観ていません。

熱狂的なファンだった人ほど、その傾向にあるようです。事実、

それらの人の半数以上が、まだ、プロ野球を観ていないそうです。

オリックスからは、バファローズの名前を返してほしいです。


【第152回】我が大阪近鉄バファローズ:エピソード⑥ [大阪近鉄バファローズ]

今回、”使命”により皆さんお伝えするのは、次の通りです 

【王貞治との奇妙な縁】

2001年にタフィ・ローズがシーズン本塁打日本記録更新を賭けて

挑んだダイエー戦で、ダイエーの選手が王貞治監督のシーズン

本塁打記録を守るために勝負を避けるという事件が発生しました。

この事件に関し、近鉄フリーク作家として活動、今はパ・リーグ

サイドのスポーツ作家である元近鉄応援団長・佐野正幸は著書

「プロ野球の世界に生きるということ(長崎出版)」で、タブーと

いわれた「世界の王批判」と取れる一文を発表しています。

王貞治にハンク・アーロンの通算本塁打記録を破る756号を

打たれた投手が、後に近鉄で抑え投手として活躍し二年連続

リーグ最多セーブを記録した鈴木康二朗であり、更に王貞治の

現役最後の本塁打となった通算868号を打たれたのが、マニエル

とのトレードでヤクルトに放出されたかつての左腕二枚看板の

一角・神部年男です。

余談ですが、そもそも、近鉄と巨人は、頻繁にトレードが行われて

おり、その内容も、近鉄に不利な内容が多かったことから、近鉄は

巨人の2軍かとまで言われていた時期がありました。裏で、

いろいろあったのでしょうか。過ぎた話ですが、今となっては、真相

はわかりませんし、わかったところでもう遅い話です。

【助っ人外国人選手】

近鉄は助っ人外国人選手の打者が活躍するチームとして有名で

あり、一時期の阪神ファンやロッテファンなど他球団ファンからは

「近鉄は良い外国人選手を取ってくるのがうまい」とうらやましがら

れる事も多くありました。しかし、これは、近鉄スカウト陣の努力で

あり、さらに、日本の野球に合うように打法や投球術を指導した

コーチ陣の努力の賜であります。

近鉄の優勝と外国人選手の活躍は切っても切り離せないものが

あり、1979年にはマニエル、1989年にはブライアント様、2001年

にはタフィ・ローズがチームのリーグ優勝と共にMVPに輝いて

います。外国人選手が3度MVPに選出されているチームは他に

ヤクルトスワローズのみであり、外国人選手がMVPを受賞した

回数が2006年現在11回であるため、極めて多いのです。

他にもタイトルホルダーになった選手も多く、タイトルをとれなくても

打率.280、20本塁打クラスの打者が多くいます。それら外国人

選手を4パターンに分けられます。

1.日本の他球団から移籍してきたケース(代表例:ジョーンズ、

  マニエル、ブライアント様)

2.ブルワーズルート(代表例:オグリビー)

3.レッドソックスルート(代表例:ローズ、クラーク)

4.ドジャースルート(代表例:ギルバート、バーグマン、パウエル)

1.に関して、マニエルは守備の悪さがヤクルト・広岡達朗監督の

チーム編成方針上問題となり、大砲を欲していた近鉄との間で

神部年男とのトレードとなりました。近鉄としては、長年、投手陣の

柱として活躍してきた神部年男とのトレードであり、それまでの投手

中心の野球から、西本野球への過渡期でのトレードでした。

ブライアント様はデービスの大麻事件による解雇により、急遽補強

が必要となった結果の中日からの金銭トレードです。中日では2軍

で出番のなかったブライアント様ですが、近鉄コーチ陣の打法改造

により、あれだけの活躍をする選手となりました。1のパターンは

他にも1993年のレイノルズなども挙げられます(.298 18本

50打点と活躍しましたがその年限りで解雇されました)。

2.は、1980年代の近鉄の主な外国人選手獲得ルートです。当時

近鉄の友好球団がブルワーズであったことに起因しています。

3.は、1990年代である。このルートで獲得してきた選手が、

「毎年のように新外国人選手が活躍する」イメージを植えつける

要因の一つとなったと言えます。他にも1994-1995年在籍の

スチーブンス、1996年在籍のC・D(ドネルス)などがいます。

なぜレッドソックスルートと言うかというと、近鉄の外国人選手の

スカウト市原稔がアメリカで懸命にスカウト活動をするうちに、

独自にレッドソックスとのパイプを築きあげたことにあります。

レッドソックスルートで獲得してきた最後の選手は2001年在籍の

フレッディ・ガルシアとウィル・フリントです。

4.は2001年開幕時に、近鉄が野茂つながりでラソーダを

アドバイザーに迎え、ドジャースとのパイプができたことで選手が

来るようになったルートです。これにより3の長らく優良外国人打者

を獲得してきたレッドソックスとのつながりは絶たれました。

ギルバートは、当時近鉄の遊撃手で打撃を期待できる選手が

いなかったため、ラソーダに良い選手がいないか意見を求めた

結果獲得できた選手であり、当時3A通算1700安打を記録して

いました。バーグマンもシーズン途中からの入団でしたが、

オリックス戦を中心に活躍し、1年目は10勝を挙げました。

パウエルも2001年に途中入団してきましたが4勝5敗、防御率は

4点台半ばとあまり良い成績とはいえませんでしたが、2年目に

投手タイトルを総なめするほどの活躍を見せ、二桁勝利の常連と

して息の長い活躍を見せています。

選手を取ってくる先のチームカラーを反映してか、レッドソックス

ルートで獲得してきた選手は打者が活躍し、ドジャーズルートは

投手が活躍する傾向にありました。ドジャースルートで獲得してきた

打者はギルバートを除いて成功したと言える選手はいません。

近鉄で活躍する投手はアキーノ、マットソン、パウエルなど技巧派

投手ばかりで、デラクルーズ、ツイドリー、バルデス、ロドリゲス、

カラスコなどMAX150kmを越えるという触れ込みの速球派投手

は、活躍しなかったどころか全く成績を残せませんでした。

近鉄が優勝した年は、外国人選手が活躍しているのは確かです

が、決して、外国人選手頼りだったわけではありません。

第1次いてまえ打線の時は、マニエルを中心に、栗橋、羽田、小川、

佐々木などまわりにも素晴らしい選手がいました。第2次の際は、

石井等、第3次の時は、中村紀等などが周りを固め、素晴らしい

打線を形成していました。

それぞれのいてまえ打線により、おもしろい野球をし、近鉄ファン

を魅了しました。「いてまえ打線」、語り続けたい言葉の一つでも

あります。


【第151回】我が大阪近鉄バファローズ:エピソード⑤ [大阪近鉄バファローズ]

今回も“使命”により、大阪近鉄バファローズの歴史をつたえます。

2ヶ月足らずで16ゲーム差を逆転

題字だけを見れば、すごいなぁ、という内容ですが、この2ヶ月

足らずで16ゲーム差を逆転したことは、近鉄にとって、また、近鉄

ファンにとって、それほど喜ばしいことではありませんでした。

むしろ、最下位に近い成績でもいいとさえ思っていました。理由は

鈴木啓示監督の解任をファンが期待していたから。

鈴木啓示は選手としての力量と実績は誰もが認めていましたが、

監督としては、ファンは全く評価していませんでした。

1993年、仰木彬監督の後を継いだ鈴木啓示監督でしたが、

ファンが心配していたとおり、選手との折り合いが合わず、4位に

終わりました。特に、野茂、吉井、石井など主力との確執が就任前

から噂されていました。2年目の1994年の近鉄は開幕戦で守護神

赤堀が逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれて負けるという波乱の

スタートを切りました。それも、8回までノーヒット・ノーランを続けて

いた野茂英雄に対し、9回先頭の清原にむきになって直球勝負に

出て、2塁打を打たれ満塁のピンチを迎えると、赤堀に変えました。

ここは、まだ余力を充分残したエースに試合を託すべきでした。

このことによって、監督と投手陣との確執が深まりました。案の定、

チームは低迷。6月17日には首位西武に16.0ゲーム差をつけ

られ、19勝34敗、借金15の最下位に沈みます。そして、ここで

野茂が故障で戦線を離脱します。ファンは、しめた!と思いました。

ファンの描いていたシナリオは、このまま、低迷して鈴木監督の

休養、監督解任です。しかし、エース不在にもかかわらず、この日

を境に近鉄は調子を上げ、連日のようにいてまえ打線が爆発。

1969年に記録した12連勝を越える13連勝の球団新記録を打ち

立てて、ついに8月10日には首位に立ちます。この54日間で、

近鉄は32勝6敗、勝率.842という驚異的な成績を残しました。

最終的には首位西武に7.5ゲーム差で同率の2位に終わりました

が、一時的にとはいえ、わずか2ヶ月足らずで16ゲーム差を

ひっくり返した近鉄の勢いは、当時のファンに強い印象を

残しました。近鉄は、しばしば、十数ゲーム差を逆転するという

シーズンを戦いましたが、いつも、最後は沈み、盛り上げるだけ

盛り上げて、結局2位か3位に終わるというエキサイトな戦い方を

しました。

これはわざとです。

これが、近鉄の魅力の一つでもありました。

この1994年のペナントレースは当時プレーしていた選手に

とっても非常に印象に残る出来事だったようで、近鉄退団後の

石井浩郎は、週刊ベースボールから受けたインタビューの中で、

「確か33試合で4回しか負けなかったんですよ。どんな時でも

諦めなければ何とかなるんだ、ということで移籍した先では必ず

この話をしました。」と語ったことがあります。

しかし、このことによって、鈴木監督は留任。野茂は退団。ファンは

がっくり。鈴木監督の野球が面白くなくて、選手起用や投手の替え

時が非常に悪いのをファンはよくわかっていたんです。

ところが、振り返ってみれば、野茂の大リーグでの活躍、現在の

大リーグでの日本人選手の活躍は、この鈴木監督のおかげかも

知れません。

なにせ、野茂に退団を決心させ、パイオニアとして、大リーグ挑戦

の道筋をつける大きな原因となった人だったんですから。


【第150回】子どもの育ちを支える社会を目指して⑧ [教育]

【不登校について】

〇不登校の状況

不登校については、「どの子にも、どこの学校でも起こり得る」

「学校生活における友人関係、家庭生活における親子関係、

生活環境の急激な変化など、様々な要因が絡んでいる」という

認識をもつことが大切です。

その上で、私たち大人は、日頃から子どもの理解に努め、子ども

の生活の変化を見逃さないよう十分に目を配ることが大切です。

〇不登校の兆候

・朝になると、腹痛や頭痛を訴えたり、学校に行きたくないと

 言ったりする。

・成績が急に低下する。

・自分の部屋に閉じこもりがちになり、家族を避けようとする。

・食事が不規則になり、偏食や拒食、過食などの傾向がみられる

 ようになる。

・朝、起床できないことが増える。

・学校や友達の不満をつぶやくようになる。

・表情が暗くなり、人の視線を気にしたり、友だちから避けて行動

 したりするようになる。

※『いじめに気づいたら、すぐに学校(担任)に相談しましょう。』

最初の対応によって、子どもがさらに心を閉ざしてしまう場合もある

ので、子どもの思いに配慮する必要があります。学校内外に設けら

れた教育相談を利用して、心の負担を軽くすることが大切です。

[不登校の解消に向けて、家庭と学校等との連携が重要です]

●学校と子どもをつなぐ…学校は家庭訪問で学業や生活面での

                相談にのる。電話をかけたり、迎えに

                行ったりする。

●家庭の支え……………家族関係や家庭生活の改善を図る。

●専門機関の活用………スクールカウンセラー等の専門的な

                相談を受ける。

                教育支援センターを利用する。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いじめの問題にしても、不登校の問題にしても、やはり家庭の役割

は大きいです。普段から、コミュニケーションを取り合うことが必要

です。子どもから出ている微細なサインに気がついてあげられるの

は家族が一番です。その中でも、「笑顔」に注視してみましょう。


【第149回】子どもの育ちを支える社会を目指して⑦ [教育]

【いじめの問題について】

〇いじめの状況

いじめについては、「いじめは人間として絶対に許されない」「どの

子にも、どこの学校でも起こり得る」という認識をもつことが大切

です。

学校非公式サイト等を使った「ネットいじめ」も依然として深刻な

問題となっており、いじめの未然防止、早期発見、早期対応の

ため、私たち大人が、日頃から子どものサインを見逃さないよう

子どもの言動を見極めるとともに、きめ細やかな関わりをもつこと

が必要です。

〇いじめの兆候

・口数が少なくなり、沈みがちになる。

・衣服が汚れていたり、けがをしたりして帰ってくる。

・成績が急に低下する。

・学校に行きたがらない。

・家のお金がよく無くなる。

・新しい文具等がなくなったり、汚損したりしている。

・体の不調を頻繁に訴えるようになる。

・友だちが来ても喜ばない。

※『いじめに気づいたら、すぐに学校(担任)に相談しましょう。』

最初の対応によって、子どもがさらに心を閉ざしてしまう場合もある

ので、子どもの思いに配慮する必要があります。学校内外に設けら

れた教育相談を利用して、心の負担を軽くすることが大切です。

[いじめをしない、いじめに気づく、いじめを許さない心を育む

ために]

●子どもが安らぐ家庭の雰囲気をつくる。

子どもと話し子どもと遊ぶ、子供を叱ることが、子どもの心を育て

ます。

●子どもを見守る地域の雰囲気をつくる。

子どもとのあいさつ、会話、子どもへの注意が、子どもの心を

育てます。


【第148回】子どもの育ちを支える社会を目指して⑥ [教育]

【交通安全について】

子どもの交通安全が多発しています。

家庭でも、身近に起きた子どもの交通事故について、話し合う機会

を持ち、子供に交通ルールを守り、正しい交通ルールを身につけ

させるよう指導することがた大切です。

〇多発している子どもの交通事故と指導のポイント

●道路への飛ぶ出し事故

転がったボールや友達を追いかけるなどして、道路に飛びですこと

が非常に危険であることや、道路の正しい横断の方法について

指導しましょう。

●自動車同乗時のシートベルト(チャイルドシート)非着による事故

自動車の衝突や急ブレーキの制動時に、車内にたたきつけられ

たり、フロントガラスを突き破って車外に放出されたりしないよう、

すべての座席において、シートベルトやチャイルドシートを着用する

必要があることについて指導しましょう。

●自転車乗用中の事故

自転車も道路交通法では「車両」です。「自転車安全利用5則」を

もとに、そのほか、傘さしの禁止、走行中の携帯電話やヘッド

フォン使用等の禁止も含め、安全な自転車乗り方全般にについて

指導しましょう。

なお、道路交通法の改正により、平成20年6月1日より、児童

(6歳以上13歳未満)、幼児(6歳未満)は自転車歩道通行可の

標識がなくても歩道を通行することができるようになりました。

※自転車乗用中のヘルメット着用が努力義務化されました

道路交通法の改正により、、次の通り「自転車乗用中のヘルメット

着用の努力義務」が施行されました。

『「乗用中ヘルメット着用努力義務の導入」

道路交通法第63の10

児童又は幼児を保護する責任のある者(児童・幼児の親や、幼児

を自転車に同乗させる運転手のほか、児童にに自転車通学を

許可している場合の小学校の教員などが含まれると考えられます。

)は、児童又は幼児を自転車に乗車させるときは、当該児童又は

、当該児童又は幼児にに乗用用ヘルメットをかぶらせるよう努め

なければならない』

[自転車安全利用5則]

①自転車は車道が原則、歩道は例外

②車道は左側を通行

③歩道は歩行者優先で、車道よりを徐行

④安全ルールを守る

 ・飲酒運転・二人乗り・並進の禁止

 ・夜間はライトを点灯

 ・交差点での信号遵守と一時停止・安全確認

⑤子どもはヘルメットを着用

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の内容はあたり前のことです。しかし、現状はどうでしょう。

大人がまず、見本にならなければ子どもにはわかりません。

あたり前のことをあたり前にする。簡単なことです。

子どもを指導する親は、あたり前のことをもう一度見直し、この

機会に子どもの手本になり指導できるよう、もう一度自分の行動を

よく考えてみましょう。


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